おかえり弟(その一)

たまにしか更新しないブログに何度となく登場してきた弟の悠人。

彼が初めて藤井寺の居酒屋黒兵衛にアルバイトとしてやってきたのは彼が16歳の時、当時は私も28歳で彼とは干支で言うと一回り違うことになります。まだ黒天KURO-TENも存在すらしていなかったので、私は藤井寺の居酒屋黒兵衛で仕事をしていました。

16歳の彼は、高校生が思い付く悪さを全てやってしまうんじゃないか、というくらい絵に描いたような悪ガキでした。警察にお世話になってアルバイトに来なかったり、喧嘩で顔じゅうキズだらけで仕事に来たりと、心配の絶えない少年でした。でも、憎めない奴で何故か誰にでも愛されるキャラクターは当時から変わっていません。

そんな彼も高校卒業を迎えようとしてる時、今の黒天KURO-TENは計画段階に入っており、私は彼を立ち上げメンバーの一人として迎え入れたいと思っていました。しかし、物件の取得が難航し、計画が進まないまま彼の卒業が迫ってきてしまいました。そして結局彼は東京の大手飲食会社に就職してしまいました。

私は彼が東京で頑張れているのか気になっていたので、久しぶりに連絡してみるのですか、音信不通となり、どこで何をやっているのかとても心配になりました。彼が東京へ旅立ってどれくらい経った頃なのか忘れてしまいましたが、ある時当時のアルバイトスタッフが、『難波で悠人を見ました!あれは絶対悠人です!』との情報が入って来ました。

私を含めてスタッフ皆んなが彼の動向を心配していたので、ある日スタッフ全員で飲み会をしていた時に、『そうだ、久しぶりに悠人に電話してみよう!』ということになり、ちょうど携帯の番号が新しくなっていた私の携帯電話で電話することにしました。というのも、彼は私やスタッフの番号を知っているので、それらの番号には出ないのです。

案の定、彼は私の電話に『もしもし』と出ました。

『おい悠人!』私のその声に瞬時に気づいた彼はすぐに電話を切りました。生きてる事だけはわかりました。

この後も私は当日流行っていたSNSやメールなどで連絡を試みましたが、彼から連絡が入ることはありませんでした。

そして彼が東京に旅立って3年が経つ2011年3月、やっと黒天KURO-TENをオープンさせることが出来ました。3年前の私には悠人を迎え入れる力はありませんでしたが、黒天KURO-TENの力があれば彼を迎え入れることが出来ます。しかしもう、彼は居ません。

そんな黒天KURO-TENオープンのドタバタで3ヶ月が過ぎようとするゴールデンウィークが終わる頃、突然彼は現れました。営業中に振り返ると、裏口に悠人が立っているじゃありませんか。

私は思わず彼に近づくなり両手で彼の首を締めながら『どれだけ心配したと思ってるねん!』と叫んでいました!

これが、一度目の『おかえり弟』

続きはまた今度(笑)

コロナで家族や仕事を失った人々は大勢います。決してコロナ禍の状況を喜ぶべきものではありません。しかし、誰もが前を向いて進まなければいけません。コロナのせいで、ではなく、コロナのおかげでと思えた時に新しい光が見えてくるのだと思っています。コロナのおかげでもう一度弟と前を向き、夢に向かって前進出来ることを感謝したいと思います。

ついに始動

黒天KURO-TENオープンから10年目にしてコロナ禍の洗礼を受け、不要不急と言われ自分達のやってきた事を世の中から否定されている様な気持ちにさえなってきた中、このまま負けてたまるかという気持ちと、挑戦意欲に火がつき新しい飲食ジャンルに挑戦する事にしました。

かれこれ一年以上の間、国や大阪府の要請に従って休業を続けてきた当社の3号店をジビエ料理と焼肉店を合わせた業態にリニューアルすることにしました。

先日からようやく工事がスタートしたので、随時このブログで報告させて頂きます。

荷物出しからスタート
店内の整理
2階席の配置も新しく考え中

誰かがやらねば

ふと幼少期や青春時代を思い返せば、学級代表やら生徒会長なんていう役割を担ってきたのは、誰もやりたい人ややる気のある人が周りに居なくて、『じゃあ自分がやるか。』という感じだったと記憶しています。

大人になった今も会社を代表する立場であったり、地域の組織で幹部をしたりと活動の中心を担う立場に居続けられるのは、そのような経験からだと思います。

今回挑戦している銃猟に関しても、全国的な猟師の高齢化や本格化している獣害、廃棄されている命などの問題を知った上で、自分にできる事は何だろうと考えた結果であります。

『誰かがやらねば…』

そういう問題が目の前に現れた時、率先して自分がやってしまう性分なのかもしれません。

初心者講習会の会場

先日申し込みをした猟銃所持許可申請の最初の難関にして最大の難関と言われている初心者講習会を受講して来ました。さすがに厳重な雰囲気での講習と試験だったので写真はこれだけです。

午前10時に講習開始でしたが、私は1時間前に到着して一番前の席に陣取りました。そこから約1時間おきに10分程度の休憩をはさみながら午後4時まで講習があり(途中1時間程度の昼食タイムがありました)、そこから50問の正誤問題による試験が行われて45問正解しないと不合格になります。その試験の難易度が高い都道府県では合格率が20%以下と聞いていたので、久しぶりにしっかり勉強して試験にのぞみました。

後日、管轄の警察署から来てくださいと連絡があり、無事に講習修了証明書を頂くことが出来ました。

講習修了証明書

次はいよいよ射撃場での射撃教習を受けます。そのためには、またまた医師の診断証明やら自己破産中でないことを証明するための身分証明書などを揃えて提出する必要があります。その後警察による身辺調査が行われます。

射撃講習の模様も写真が撮れたらご報告します!

銃猟の第一歩

先日、私の地域の管轄である西和警察署に行ってきました。その理由はと言いますと、いよいよ今年の夏に待ちに待った銃猟免許の試験が行われます。昨年末に行われた狩猟免許の試験はわな猟免許のみで、銃猟免許の試験は夏に2回のみ行われるているようです。(都道府県によって異なります)

昨年にわな猟免許は取得しましたが、私の地域の猟友会の支部長さん(お師匠さんと呼んでいる)にも勧められて、今年の銃免許試験を受けることにしました。

その銃免許とは別に、警察署に銃の所持許可をもらわなければ銃猟を行うことは出きません。ですので、試験とは別に警察署の申請も同時に行う必要があります。そのための初心者講習の申し込みをするために西和警察署にお邪魔してきました。

事前にこの初心者講習の申し込みが実は『0次面接』と呼ばれているとは知っていましたが、まさにその様な感じでした。当然ですが、警察側としては一般市民に銃なんて所持して欲しくないでしょう。ですから、その対応は全くと言って良いほどウェルカム感はありません。『どうして銃なんか必要なんですか?』『いい事ないですよー』といった具合に、出来れば諦めて欲しいと言わんばかりの雰囲気が漂っていました。

しかし、私の場合は狩猟への興味はもちろんですが、自然保護や無駄に死んでいく命を出切る限り食材に利用したいという強い思いから、猟師としても一人前になりたいと決意し、銃猟免許試験を受けることにしたので、ここで簡単に引き下がるわけにはいきません。

私が料理店を営んでいることや、お師匠さんとの出会いなどを警察署の担当の方にお話しするとやっと納得して頂いたようで、申し込み用紙に記入させてもらいました。その講習会は8月20日に行われます。またその模様もブログにて報告させていただこうと思います。

協力金&補助金申請に追われる日々

もうそろそろ嫌になってきましたー!

なんて言ってると怒られると思いますが(^人^)頂けるだけありがたい協力金や補助金ですが、なにしろ必要書類が多くて、これはどの申請に使う書類だったっけ?なんてことを何度も繰り返しています。

コロナ禍で売上が下がっている業種は飲食店に限らないのに、飲食店には協力金やら補助金が出ていますが、他の業種では何の補助も出ていないことも多いようです。

我が社は、藤井寺に2店舗と王寺に1店舗の合計3店舗のお店を経営していますので、社員とアルバイトを含めて約30名ほどの従業員がいます。

しかし、緊急事態宣言や時短要請下ではアルバイトのシフトを維持することは不可能です。社員のみで営業して経費を削減し、協力金などで補填しながらお店を維持している状態です。

このような状況でも予想を越える多くのお客様にご来店頂き、毎日涙が出るほど嬉しく思い、改めてお客様に支えられていることを実感する毎日です。

私たちは、ご来店して頂くことにこそ価値があると信じてお店を継続しています。コロナの影響はまたまだ続きそうですが、長年お客様から支えて頂いた皆様の憩いの場所を、スタッフ全員で守っていきたいと思います。

時短要請

とうとう王寺町にも飲食店への時短要請が出るようです。

王寺町の飲食店主仲間の間でも対応は様々で、各店舗出来る限りウイルス対策は行って営業していますが、ここ最近の感染者数の増加から自主的に休業を行ったり、営業時間の変更をしたりと苦渋の決断を迫られています。

そして先日、このような新型コロナウイルスの影響を受けて県に対してどのような要望があるのか、王寺町内の飲食店からの意見を集めるために、アンケート形式で各店主さまに質問させて頂きました。その結果をもとに王寺町と奈良県の事業支援策を決定していこうというものです。

最も多い意見はやはり、協力金を伴う休業要請や時短要請を行って欲しいという意見でした。これ以上ウイルス感染を拡大させないためには、人と人との接触機会を減らすことが最も大切なのは誰もが理解している事です。しかし、私たちのようなお客様にお越し頂いて成り立つ商売は、ウイルス感染拡大予防とは全く逆の事を行わなければなりません。だから皆さん葛藤しながら営業を続けています。

私たち黒天KURO-TENとしても何が正しいのか日々葛藤しながらの営業が続いています。お客様が沢山お越し頂いて、お店が賑わうのは大変嬉しいことです。しかし、それを良しとしない状況であるのも事実です。

この様な状況の中時短要請を受けまして、5月1日から11日の間は営業時間を午前11時から午後8時に変更したいと思います。先の状況次第では変更がある可能性もありますが、今のところこの様な決定をさせて頂きたいと思います。

衰えと闘う

私の息子が6歳になったタイミングで、新極真会奈良支部に入門させて頂き、今では空手を通じた仲間がお店に遊びに来て頂くようになりました。

そんな空手を始めるようになった理由はと言いますと、私も6歳の時に近所のお兄ちゃんに連れられて、私が通っていた上牧小学校の近くにある、体育館で伝統空手の賢裕流道場が開かれていたので、そこに入門していました。大阪から奈良に引っ越して来たばかりの6歳の私にはまだ友達も少なく、近所の年上連中に泣かされて悔しい思いをしていた記憶があります。そして、『こいつらに負けてたまるか。』『絶対にこいつらより強くなってやる。』と強く思っていた記憶もあります。そんな時に、近所の同級生の女の子のお兄ちゃんが、空手一緒に来るか?と言ってくれたので、私は二つ返事で『行く!』と決心しました。

そして、小学校三年生のときに、柏原市の大会で組手の部で優勝したのをきっかけに、どんどん自信をつけて毎年組手の大会で沢山の優勝トロフィーを獲得していました。いつのまにか、近所のお兄ちゃん達より強くなっていました。

頑張れば強くなれるんだ、努力すれば何でもやれるんだ、ということを空手を通して学んだ経験が、私にとってとても良い経験だったので、それを同じような経験を息子にもさせたい思いで、空手の道場に通わせるようになり、ついでに私も昔を思い出しながら大人の空手仲間と共に稽古に励むようになりました。

体はどんどん動かなくなっているのを、年々感じますが、40歳を過ぎてこの体力の衰えをいかに遅らせるか、衰えと闘うことにやり甲斐を感じています。

私より動ける歳上の先輩たちの刺激を受けながら、これからも精進していきたいと思います。私くらいに大きくなった息子の蹴りを受け止められる身体でいられるのが目標です。

師範いつもありがとうございます!
頑張れ息子

食から健康

食育セミナー

食育とは

食育基本法においては、「食育とは生きる上での基本であって、知育・徳育・体育の基礎となるものであり、さまざまな経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践できる人間を育てるもの」と定義されています。

私は料理人として、第一に美味しさ、第二に提供価格、第三に調理肯定と、料理人として食育に関わる事は、おろそかにしてきたと言っても良いと思います。特に居酒屋業態の料理人にとっては、趣向品となる料理が大半を占めるので、召し上がるお客様の体の事を考慮して料理をすることは皆無と言っても過言では無いと思います。

お客様もまた、『外食の時くらい。』とか『今日は何も気にせず美味しいものをお腹いっぱい食べたい。』というのが一般的な思いでしょう。ですから、私たちもお店の料理は美味しさ最優先で、メニューを考案して調理しています。

しかし、近頃は私自身も中年と呼ばれる世代に入ってきたので、健康な食生活というものを意識するようになってきました。私の食育というものはというと、幼い頃に母親から『好き嫌いしてはいけない、何でも食べなさい。』とか、私が味が薄いと言うと、『人参には人参の、玉ねぎには玉ねぎの甘さや味があるでしょ。』『味は薄いほうが体に良いのよ。』といった家庭での食卓で学んできたことがほとんどです。小学校の家庭科や保健体育の授業でも、栄養やエネルギー代謝に関わる様な授業はあった様な気もしますが、ほとんど記憶に残っていない程度のものです。

そんなことを考えながら、お店でも体に良いものを提供していきたいなと考える様になってきました。

しかし、美味しいものは体に悪いとよく言いますが、私も同感です。これは言い換えると、幼い頃から美味しいと認識してきたものが、体に悪いものに偏っている、と私は考えています。

幼い頃から、『これは美味しいけど、体にはこういう影響があるからね』とか『白砂糖は科学的に精製したものだから、消化するのに酵素をいっぱい使うんだよ。』とか、もう少し食が及ぼす体への影響について学んでいれば、それぞれの趣味趣向も少しは変わっていた様な気がします。

ですから、お店のメニューをいきなり健康メニューに方向転換する事は現実的ではありません。じゃあ私にいったい何が出来るのか考えますと、まず自分が正しい情報を集めて勉強する事、そしてそれらを正しく発信していく事、そこから始めて行こうかなと思います。

テレビやネットには情報が溢れていて、何が正しい情報なのか取捨選択するのがますます難しい時代になっています。テレビの情報はほとんどの場合スポンサーに不利な情報は発信されません。考えてみれば、無料でほぼ一日中送信されている電波に有益なものがあるはずがないのです。送信している側に利があるから無料で送信しているのです。もちろん公共の電波として、私たちの生活を支えていることも事実ですが。

ここでは、私が食育について学んで、正しいと思ったことを共有させていただこうと思います。もし間違いが発覚すればすぐに訂正させていただこうと思います。自分の目や足を使って得た情報を発信して行こうと思います。

秘密基地

以前、猟友会の北葛城支部長さんから『一度来なさいよ。』とお誘い頂いていました、猟師仲間で共有している小屋がある大阪府某所まで、朝から車を走らせてお邪魔してきました。

そこはまさに秘密基地と呼べそうな場所。軽自動車がやっと通れるほどの小道を、どんどん山の上へ向かって進むと少しひらけた場所に一件の小屋が建っていました。

小屋がある少しひらけた場所

私はまだ、支部長さんしか面識が無かったので、おひとりずつ初めましてのご挨拶をさせて頂きました。先輩猟師の方々からすれば、私は息子と言ってよいほど歳が離れていますが、快く仲間として迎えて頂きました。

私は今日はご挨拶だけと思っていましたが、罠を見に行こうと言うことになり、さっそく山に向かって道なき道を進んで行きました。

道なき道をゆく
お師匠様が罠を仕掛けている場所のひとつ

山に入って人が通る道ではないところを、どんどん入って行くのは、子供の頃以来のような気がします。お師匠様は、『山を知るんや。どんどん山に入って、動物がどう動いてるかわかるようになる。』と言います。私は幼い頃から自然が大好きでした。まさか大人になって、こういう形で再び自然と関わっていくとは思っていませんでした。

狩猟とは、少し昔は趣味やレジャーのひとつと捉えられていましたが、近年ではその意味合いは大きく変わり、人間の手で作り替えてしまった自然環境を、猟師という人間の手で守っていこうという自然保護の役割になっています。人間世界では害獣と位置付けられ、駆除対象になっている鹿や猪は、天敵であったはずのオオカミを人間が絶滅に追いやったがために、その数は増え、農作物の被害を引き起こしています。これは人間が自ら招いた事です。そのために、邪魔な動物の命を奪っているのです。

たしかに人間の身勝手で引き起こしてしまった事ですが、このまま鹿や猪が増え続けると、人間と自然との共存が難しくなるかもしれません。そこで、天敵を人間自ら滅ぼしてしまったので、それに代わって猟師が狩猟を行っているのです。そんな猟師も、今では高齢化が進み若い世代の育成が必要とされています。

私は一般社会では中堅にあたる世代ですが、猟師の世界では完全に若手に入るようです。命の廃棄問題と同様に、若手ハンターの育成に繋がるようなことも視野に入れながら、今年からハンター一年生として精進していこうと思います。

今日は猪でベーコンを作ってみます

トミーエマニュエル

トミーエマニュエル

私の大好きなミュージシャンのひとり。かなりの頻度でお店のBGMに登場しています。最近ではライブ映像を流すほどお気に入りのギタリストです。

彼はオーストラリアのニューサウスウェールズ州出身。1955年産まれ。グラミー賞に2回ノミネートされた『フィンガーピッキングの達人』として有名です。シドニーオリンピックの開会式でも演奏を披露している、地元オーストラリアでは人間国宝級のギタリストです。

そんなトミーの2019年に行われたビルボード大阪でのライブのバックステージに、お邪魔させて頂くことが出来ました。まさか、その時はこのような新型コロナウイルスにより、海外ミュージシャンの来日どころか、国内のライブ活動さえも制限される状況になるとは思いもしていませんでした。もう一度彼の演奏を生で聴くことが出来るのはいつになるのか、そんなことを考えながら、彼のInstagramや YouTubeでの配信ライブを観ています。彼の奏でる音楽は優しさに満ち溢れています。優しい音色はおそらく彼の人柄が現れているんだろうな、と思いながら聴いていましたが、実際お会いした彼は、優しさに包まれた紳士でした。

音楽的に勉強させて頂くとともに、ひとりの人間としても憧れる人物です。

バックステージで本人にお会いすることが出来ました
私のギターにサインを入れてもらいました♪
最高の音楽を聴きながら美味しい料理とお酒♪

もう一度彼にお会いすることが出来ることを心から願っています。