都会と田舎

都会と田舎どっちが好きか聞かれると迷わず『田舎』と答えます。幼い頃、田舎のおじいちゃん家に遊びに行くことや、山奥の小川に家族でキャンプに行ったりと田舎の自然に触れた記憶は、今でも忘れられない良い想い出です。

もちろん都会と呼ばれる場所の楽しさも知っていますので嫌いではないです。むしろ、都会にゆっくり出掛けることも好きな方です。

では、どうして田舎が好きって答えるのか。それはやっぱり自然が多く残っているからですね。人がデザインして洗練された街の風景も好きですが、田舎の田園風景や野山の景色には及びません。

ついつい私たちは人間の生活圏である、都会や住宅地が世界の全てであるかのような感覚になりがちですが、地球上の大半は海と山の自然です。自然の中で少し場所を分けてもらって人間が生活しているに過ぎません。

その人間がどんどん自然を壊して、地球の気温を上昇させ、人間以外の生物をどんどん絶滅させて、地球規模では人口増加中です。

最近私は山の中に入ったり都会に出てきたりと、人間の営みについて考える事が多く、自然があっての人間の生活だということを気付かされます。

自然の恵みがなくなると人類は絶対に生きてはいけません。それを忘れてはいけないと考えると同時に、自分が死ぬまでにいったい何が出来るのか。未来の子供達に豊かな自然を残すために、少しでも出来ることは無いかと考えるようになりました。

まずは猟師として、そして料理人として出来ることから考えていこうと思います。

射撃教習

結局ほとんど寝られずに射撃教習当日の朝を迎えました。余裕を持って6時20分ごろに家を出ました。

秋の朝を感じながら気持ちよかったです

目的地は京都市右京区の山奥にある京北綜合射撃場です。京都縦貫自動車道を北上し八木東インターチェンジを降りてひたすら山奥を目指します。

途中のんびり田舎道を堪能しながら走っていたので、到着時間は9時過ぎになりましたが、教習開始の10時にはまだまだ余裕があったので、射撃場内を少し拝見させて頂きました。

山の上ということもあり涼しい気候でした
事務所や教習室、ガンロッカーのある建物
建物を入るなりどでかい剥製

事務所のある建物には入るなり最初に目を引いたのは、壁から首が生えているように飾られたヘラジカの剥製でした。ツノの大きさは私が両手を広げて抱えられないほどの大きさでした。実物は簡単に普通車を跨いでいける大きさだと想像できます。こんなのと山で遭遇したらビックリですね。(この鹿はアメリカ大陸、ユーラシア大陸の北部に分布するので日本には居ません)

建物を入って山の斜面を下るように設置された階段を下ると事務所と待合カフェ的なスペースがあり、そこでコーヒーを頂きながら、射撃練習に来られていた地元の猟友会のおじさん達としばらく雑談させて頂きました。

90%のワクワクと10%の緊張で待ち時間を過ごしていると、間もなくしてキタヤマトガンサービスのYさん(私がここで師匠と呼んでいる)が来られました。たまたま同じ日に、こちらの射撃場でお客さんの初打ちに同行されていました。そのYさんがしばらくして、『こちらが今日の先生です。』と教官のOさんを紹介してくださいました。Oさんは私の父と同じとはいかないまでも、近い世代だと思います。銃を構える仕草の時の眼光が鋭いのが印象的な気さくな方でした。

『ボチボチ始めましょかぁ』と教官から声がかかり、小部屋へ案内されますと、どうも受講者は私ひとり。『今日は私ひとりだけですか?』と質問すると、『何人もでやってるとこもあるけど、人数多いとちゃんと教えられん。ひとりでやっても一日かかるからな。』とのこと。

小部屋で銃の取扱いの基本を学びました

午前中は小部屋で銃の取扱いの基本や、射撃場でのマナー、猟師としてのマナーなど私のこれからの目標に合わせた内容で講義を行って下さいました。実際に起こった事故などの話など、貴重なお話をして頂きました。ここでも銃を所持することの重大さを改めて認識しました。

いざ射台へ

そして、軽く昼食をとった後いよいよ射撃場で実弾を装填しての訓練です。まずは、静止したクレーを射抜くために、教官が25メートルくらいの位置にクレーを立てた状態で固定して、『じゃあこれ狙って撃ってみて。』とさっそく射撃命令です。クレーは直径15センチの円盤型で、それを静止した的として狙いを定める練習です。初めて撃った時の銃の衝撃は意外にもすんなり受け止める事が出来ましたが、後で教官に言わせると『力で全部受け止め過ぎ。』とのこと。それじゃスラッグ弾なんて痛くて撃てないよと言われました。的には一発で命中したので、じゃあ次は飛び出るクレーを撃ちましょうというのとで、さっそくクレーが飛び出る位置から真っ正面の射台へ立ちました。

『コールしたらあそこの下からクレーが飛び出てくるから、そしたらスッと追い掛けてさっきの照準合わせたところに追い付く瞬間に引き金を引くんや。』

私は言われた通りに照準を合わせて引き金を引きました。当たりません。教官は『遅い!クレーの下撃っとる!』その後も照準は合ってるはずなのに全く当たりませんでした。結局1ラウンドは25発中1発しか命中しませんでした。これでは失格になってしまいます。正直焦りました。照準を合わせたはずなのにクレーが弾け飛んでくれないのです。

小休止の後、2ラウンド目です。今度こそ当ててやる。そんな意気込みが裏目に出て、身体に力が入り過ぎて、当たらないうえに体力を奪われて手が震え出すという悪循環に陥りました。しかし、25発中7発は当たっていましたが、当たる根拠を見つけられずにいたので、焦りはさらに増していき3ラウンドに突入しました。この25発で当てる感覚を掴めないと、これは不合格になってしまうかもしれない。さらに焦りました。

教官に何度も射撃姿勢を修正され、どんどん身体に力が入ってしまい、射撃した反動を全て右肩で受け止めていたので、右の頬と右鎖骨あたりが痛くなっていました。しかし、ある瞬間、教官が何度も言って教えてくれていた『追い抜く時の100分の1秒を狙うんや。』その言葉の意味がわかったような瞬間がありました。クレーが上がって飛んで行く道筋どおりに照準を走らせて、照星(銃の照準を合わせるために銃身の先に付けられている突起)と中間照星(銃身の中間あたりに付けられている照星)を結んだ延長線上を通り過ぎる瞬間を狙って引き金を引くと、クレーが弾け飛びました。

これだ!そう思いました。

照準を正確にクレーの道筋に合わせて追いかけて、追い抜く直前の照準で引き金を引く、クレーが発射されてから引き金を聞くまでの、体の軸の動かし方とタイミングが少しわかったような気がしました。

そして最後の4ラウンド目。銃の点検、取扱い、マナーなどを含めて審査が始まりました。ここで減点になると射撃することなく失格になります。しかし、狩猟免許試験の時にもある程度やっていたので、なんとか射撃に入るまでの行程はクリア出来ました。

いよいよ笑っても泣いてもこれが最終ラウンドで試験です。

25発のうち最初の5発は最も当てやすい、クレーが飛び出す真後ろから狙える位置。ここで2回当てとかないと後は難易度が上がってしまいます。勝負の5発です。

1発目外れ。次こそは…

当たりました。そこから3連続で命中。角度を変えて難易度が上がっても命中と外すのを繰り返し、結局12発命中させることが出来ました。感覚を掴めたとは言えませんが、最後の最後で理屈が少しわかったような気がしました。

そんなこんなで、なんとか射撃教習を終えることができ、無事に教習修了証明書を受け取ることが出来ました。これで、所持許可申請に必要な書類が揃いました。

最初は90%のワクワクと10%の緊張と言っていましたが、最後は10%のワクワクと90%の緊張に変わっていました。

私はクレー射撃を楽しみたくて銃の所持許可申請をしている訳ではありません。あくまでも猟師として一人前になりたいからです。しかし、一人前の猟師とはどんな状況においても、銃を効果的かつ正確に扱える技量が必要だと思います。そのために次は自分の所持する銃で鍛錬に訪れたいと心底思いました。

やっと…

やっとここまで来ました!

本日警察署から連絡があり、教習射撃申請の許可が降りました。

教習資格認定証

さっそく許可証を受け取りに行き、その場で火薬類等譲受許可申請をして(教習射撃の際の実弾を購入するための許可)京都の京北綜合射撃場に教習射撃の予約を取り、いよいよ最終段階です。

その事をお世話になっているキタヤマトガンサービスのYさんに連絡すると、『私もその日は京北綜合射撃場に居てますよ』とのこと。

Yさんは奈良で唯一の銃砲店を経営されている方で、20年を超える狩猟経験を持っておられます。今年から猟師一年生となる私の先生をしてくださる方です。(ここでは師匠と呼ばせてください)

人生で初めて本物の銃を撃つことになるので、少々緊張しますが運良く師匠が居てくれるので心強いです。

9月29日(水)の午前10時から教習開始なので、余裕を持って7時にはこちらを出発しようと思います。その様子はまたこちらのブログに紹介させて頂きます。

おかえり弟(その一)

たまにしか更新しないブログに何度となく登場してきた弟の悠人。

彼が初めて藤井寺の居酒屋黒兵衛にアルバイトとしてやってきたのは彼が16歳の時、当時は私も28歳で彼とは干支で言うと一回り違うことになります。まだ黒天KURO-TENも存在すらしていなかったので、私は藤井寺の居酒屋黒兵衛で仕事をしていました。

16歳の彼は、高校生が思い付く悪さを全てやってしまうんじゃないか、というくらい絵に描いたような悪ガキでした。警察にお世話になってアルバイトに来なかったり、喧嘩で顔じゅうキズだらけで仕事に来たりと、心配の絶えない少年でした。でも、憎めない奴で何故か誰にでも愛されるキャラクターは当時から変わっていません。

そんな彼も高校卒業を迎えようとしてる時、今の黒天KURO-TENは計画段階に入っており、私は彼を立ち上げメンバーの一人として迎え入れたいと思っていました。しかし、物件の取得が難航し、計画が進まないまま彼の卒業が迫ってきてしまいました。そして結局彼は東京の大手飲食会社に就職してしまいました。

私は彼が東京で頑張れているのか気になっていたので、久しぶりに連絡してみるのですか、音信不通となり、どこで何をやっているのかとても心配になりました。彼が東京へ旅立ってどれくらい経った頃なのか忘れてしまいましたが、ある時当時のアルバイトスタッフが、『難波で悠人を見ました!あれは絶対悠人です!』との情報が入って来ました。

私を含めてスタッフ皆んなが彼の動向を心配していたので、ある日スタッフ全員で飲み会をしていた時に、『そうだ、久しぶりに悠人に電話してみよう!』ということになり、ちょうど携帯の番号が新しくなっていた私の携帯電話で電話することにしました。というのも、彼は私やスタッフの番号を知っているので、それらの番号には出ないのです。

案の定、彼は私の電話に『もしもし』と出ました。

『おい悠人!』私のその声に瞬時に気づいた彼はすぐに電話を切りました。生きてる事だけはわかりました。

この後も私は当日流行っていたSNSやメールなどで連絡を試みましたが、彼から連絡が入ることはありませんでした。

そして彼が東京に旅立って3年が経つ2011年3月、やっと黒天KURO-TENをオープンさせることが出来ました。3年前の私には悠人を迎え入れる力はありませんでしたが、黒天KURO-TENの力があれば彼を迎え入れることが出来ます。しかしもう、彼は居ません。

そんな黒天KURO-TENオープンのドタバタで3ヶ月が過ぎようとするゴールデンウィークが終わる頃、突然彼は現れました。営業中に振り返ると、裏口に悠人が立っているじゃありませんか。

私は思わず彼に近づくなり両手で彼の首を締めながら『どれだけ心配したと思ってるねん!』と叫んでいました!

これが、一度目の『おかえり弟』

続きはまた今度(笑)

コロナで家族や仕事を失った人々は大勢います。決してコロナ禍の状況を喜ぶべきものではありません。しかし、誰もが前を向いて進まなければいけません。コロナのせいで、ではなく、コロナのおかげでと思えた時に新しい光が見えてくるのだと思っています。コロナのおかげでもう一度弟と前を向き、夢に向かって前進出来ることを感謝したいと思います。

ついに始動

黒天KURO-TENオープンから10年目にしてコロナ禍の洗礼を受け、不要不急と言われ自分達のやってきた事を世の中から否定されている様な気持ちにさえなってきた中、このまま負けてたまるかという気持ちと、挑戦意欲に火がつき新しい飲食ジャンルに挑戦する事にしました。

かれこれ一年以上の間、国や大阪府の要請に従って休業を続けてきた当社の3号店をジビエ料理と焼肉店を合わせた業態にリニューアルすることにしました。

先日からようやく工事がスタートしたので、随時このブログで報告させて頂きます。

荷物出しからスタート
店内の整理
2階席の配置も新しく考え中

誰かがやらねば

ふと幼少期や青春時代を思い返せば、学級代表やら生徒会長なんていう役割を担ってきたのは、誰もやりたい人ややる気のある人が周りに居なくて、『じゃあ自分がやるか。』という感じだったと記憶しています。

大人になった今も会社を代表する立場であったり、地域の組織で幹部をしたりと活動の中心を担う立場に居続けられるのは、そのような経験からだと思います。

今回挑戦している銃猟に関しても、全国的な猟師の高齢化や本格化している獣害、廃棄されている命などの問題を知った上で、自分にできる事は何だろうと考えた結果であります。

『誰かがやらねば…』

そういう問題が目の前に現れた時、率先して自分がやってしまう性分なのかもしれません。

初心者講習会の会場

先日申し込みをした猟銃所持許可申請の最初の難関にして最大の難関と言われている初心者講習会を受講して来ました。さすがに厳重な雰囲気での講習と試験だったので写真はこれだけです。

午前10時に講習開始でしたが、私は1時間前に到着して一番前の席に陣取りました。そこから約1時間おきに10分程度の休憩をはさみながら午後4時まで講習があり(途中1時間程度の昼食タイムがありました)、そこから50問の正誤問題による試験が行われて45問正解しないと不合格になります。その試験の難易度が高い都道府県では合格率が20%以下と聞いていたので、久しぶりにしっかり勉強して試験にのぞみました。

後日、管轄の警察署から来てくださいと連絡があり、無事に講習修了証明書を頂くことが出来ました。

講習修了証明書

次はいよいよ射撃場での射撃教習を受けます。そのためには、またまた医師の診断証明やら自己破産中でないことを証明するための身分証明書などを揃えて提出する必要があります。その後警察による身辺調査が行われます。

射撃講習の模様も写真が撮れたらご報告します!

銃猟の第一歩

先日、私の地域の管轄である西和警察署に行ってきました。その理由はと言いますと、いよいよ今年の夏に待ちに待った銃猟免許の試験が行われます。昨年末に行われた狩猟免許の試験はわな猟免許のみで、銃猟免許の試験は夏に2回のみ行われるているようです。(都道府県によって異なります)

昨年にわな猟免許は取得しましたが、私の地域の猟友会の支部長さん(お師匠さんと呼んでいる)にも勧められて、今年の銃免許試験を受けることにしました。

その銃免許とは別に、警察署に銃の所持許可をもらわなければ銃猟を行うことは出きません。ですので、試験とは別に警察署の申請も同時に行う必要があります。そのための初心者講習の申し込みをするために西和警察署にお邪魔してきました。

事前にこの初心者講習の申し込みが実は『0次面接』と呼ばれているとは知っていましたが、まさにその様な感じでした。当然ですが、警察側としては一般市民に銃なんて所持して欲しくないでしょう。ですから、その対応は全くと言って良いほどウェルカム感はありません。『どうして銃なんか必要なんですか?』『いい事ないですよー』といった具合に、出来れば諦めて欲しいと言わんばかりの雰囲気が漂っていました。

しかし、私の場合は狩猟への興味はもちろんですが、自然保護や無駄に死んでいく命を出切る限り食材に利用したいという強い思いから、猟師としても一人前になりたいと決意し、銃猟免許試験を受けることにしたので、ここで簡単に引き下がるわけにはいきません。

私が料理店を営んでいることや、お師匠さんとの出会いなどを警察署の担当の方にお話しするとやっと納得して頂いたようで、申し込み用紙に記入させてもらいました。その講習会は8月20日に行われます。またその模様もブログにて報告させていただこうと思います。

協力金&補助金申請に追われる日々

もうそろそろ嫌になってきましたー!

なんて言ってると怒られると思いますが(^人^)頂けるだけありがたい協力金や補助金ですが、なにしろ必要書類が多くて、これはどの申請に使う書類だったっけ?なんてことを何度も繰り返しています。

コロナ禍で売上が下がっている業種は飲食店に限らないのに、飲食店には協力金やら補助金が出ていますが、他の業種では何の補助も出ていないことも多いようです。

我が社は、藤井寺に2店舗と王寺に1店舗の合計3店舗のお店を経営していますので、社員とアルバイトを含めて約30名ほどの従業員がいます。

しかし、緊急事態宣言や時短要請下ではアルバイトのシフトを維持することは不可能です。社員のみで営業して経費を削減し、協力金などで補填しながらお店を維持している状態です。

このような状況でも予想を越える多くのお客様にご来店頂き、毎日涙が出るほど嬉しく思い、改めてお客様に支えられていることを実感する毎日です。

私たちは、ご来店して頂くことにこそ価値があると信じてお店を継続しています。コロナの影響はまたまだ続きそうですが、長年お客様から支えて頂いた皆様の憩いの場所を、スタッフ全員で守っていきたいと思います。

時短要請

とうとう王寺町にも飲食店への時短要請が出るようです。

王寺町の飲食店主仲間の間でも対応は様々で、各店舗出来る限りウイルス対策は行って営業していますが、ここ最近の感染者数の増加から自主的に休業を行ったり、営業時間の変更をしたりと苦渋の決断を迫られています。

そして先日、このような新型コロナウイルスの影響を受けて県に対してどのような要望があるのか、王寺町内の飲食店からの意見を集めるために、アンケート形式で各店主さまに質問させて頂きました。その結果をもとに王寺町と奈良県の事業支援策を決定していこうというものです。

最も多い意見はやはり、協力金を伴う休業要請や時短要請を行って欲しいという意見でした。これ以上ウイルス感染を拡大させないためには、人と人との接触機会を減らすことが最も大切なのは誰もが理解している事です。しかし、私たちのようなお客様にお越し頂いて成り立つ商売は、ウイルス感染拡大予防とは全く逆の事を行わなければなりません。だから皆さん葛藤しながら営業を続けています。

私たち黒天KURO-TENとしても何が正しいのか日々葛藤しながらの営業が続いています。お客様が沢山お越し頂いて、お店が賑わうのは大変嬉しいことです。しかし、それを良しとしない状況であるのも事実です。

この様な状況の中時短要請を受けまして、5月1日から11日の間は営業時間を午前11時から午後8時に変更したいと思います。先の状況次第では変更がある可能性もありますが、今のところこの様な決定をさせて頂きたいと思います。

衰えと闘う

私の息子が6歳になったタイミングで、新極真会奈良支部に入門させて頂き、今では空手を通じた仲間がお店に遊びに来て頂くようになりました。

そんな空手を始めるようになった理由はと言いますと、私も6歳の時に近所のお兄ちゃんに連れられて、私が通っていた上牧小学校の近くにある、体育館で伝統空手の賢裕流道場が開かれていたので、そこに入門していました。大阪から奈良に引っ越して来たばかりの6歳の私にはまだ友達も少なく、近所の年上連中に泣かされて悔しい思いをしていた記憶があります。そして、『こいつらに負けてたまるか。』『絶対にこいつらより強くなってやる。』と強く思っていた記憶もあります。そんな時に、近所の同級生の女の子のお兄ちゃんが、空手一緒に来るか?と言ってくれたので、私は二つ返事で『行く!』と決心しました。

そして、小学校三年生のときに、柏原市の大会で組手の部で優勝したのをきっかけに、どんどん自信をつけて毎年組手の大会で沢山の優勝トロフィーを獲得していました。いつのまにか、近所のお兄ちゃん達より強くなっていました。

頑張れば強くなれるんだ、努力すれば何でもやれるんだ、ということを空手を通して学んだ経験が、私にとってとても良い経験だったので、それを同じような経験を息子にもさせたい思いで、空手の道場に通わせるようになり、ついでに私も昔を思い出しながら大人の空手仲間と共に稽古に励むようになりました。

体はどんどん動かなくなっているのを、年々感じますが、40歳を過ぎてこの体力の衰えをいかに遅らせるか、衰えと闘うことにやり甲斐を感じています。

私より動ける歳上の先輩たちの刺激を受けながら、これからも精進していきたいと思います。私くらいに大きくなった息子の蹴りを受け止められる身体でいられるのが目標です。

師範いつもありがとうございます!
頑張れ息子