なぜ料理人の僕が猟師をしているのか

久しぶりに、狩猟について書いてみようと思います。

このブログを昔から読んでくださっている方はご存知かもしれませんが、僕が狩猟免許を取得したのは2020年。

最初はわな猟の免許を取得し、その後、銃猟の免許も取得しました。

あの頃のブログを読み返してみると、猟友会のお師匠さんに初めて会った時のことや、「これから猟師一年生になります」なんて書いていて。

今読むと、なんだか懐かしいですね。

あれから数年。

今では実際に山に入り、鹿を追い、自分自身で命と向き合うようになりました。

では、なぜ料理人である僕が狩猟をしているのか。

最近、山に入るたびに、そんなことを改めて考えるようになりました。

僕は料理人です。

毎日のように魚を捌き、肉を切り、野菜を料理して、お客様に食べていただいています。

料理人にとって食材は、もちろん無くてはならないものです。

でも狩猟を始めるまでは、その食材が自分の目の前に届くまでのことを、本当の意味では分かっていなかったのかもしれません。

スーパーにも肉は並んでいます。

魚屋にも魚が並んでいます。

厨房にも、毎日のように食材が届きます。

僕自身、それが当たり前の環境でずっと料理をしてきました。

でも当然、そのひとつひとつは、もともと生きていた命です。

山の中で、自分の目の前に生きている鹿がいる。

こちらの気配を感じ、山の中を走っていく。

その姿を自分の目で見て、自分で獲り、自分の手で処理する。

これは、厨房で肉を手に取るのとは全く違う経験でした。

「命をいただく」

料理の世界ではよく使われる言葉です。

僕自身も料理人として何度も使ってきた言葉ですが、狩猟を始めてからは、その言葉の感じ方が少し変わりました。

前よりも、ずっと重く感じるようになった気がします。

そして、僕が狩猟を続けている理由は、それだけではありません。

日本では現在、鹿や猪による農作物への被害などを防ぐため、多くの野生動物が捕獲されています。

でも、捕獲された鹿のすべてが食肉として利用されるわけではありません。

せっかく獲られた鹿が、人の口に入ることなく処分されてしまうことも少なくありません。

それを知った時、

「なんとか出来ないのかな」

と思いました。

僕は料理人です。

だったら、自分に出来ることがあるんじゃないか。

その命を、少しでも美味しい料理に変えることが出来るんじゃないか。

そう思うようになりました。

鹿肉というと、

「臭いんじゃない?」

「硬いんじゃない?」

そんなイメージを持っている方も、まだまだ多いと思います。

実際、お客様と話していても、そういう声を聞くことがあります。

でも、きちんと処理された鹿肉は本当に美味しいです。

とても繊細で、旨味があって、調理の仕方によって表情も変わる。

料理人として、とても面白い食材だと思っています。

そして僕自身、もっと多くの人にその美味しさを知ってもらいたい。

自分が山で経験してきたこと。

料理人としてこれまで培ってきたこと。

その二つをつなげることで、少しでも無駄になってしまう命を減らすことが出来たら。

そして、僕が料理した鹿肉を食べたお客様が、

「鹿肉って、こんなに美味しいんや。」

そう思ってくれたら。

それは僕が猟師をしている意味のひとつになるんじゃないかなと思っています。

狩猟を始めた頃は、本当に分からないことだらけでした。

もちろん、今でも分からないことはたくさんあります。

山に入るたびに、新しいことを教えられます。

自然は人間の思い通りにはなりません。

鹿も当然、こちらの思い通りには動いてくれません。

昨日うまくいったことが、今日は全く通用しないこともあります。

でも、だから面白い。

いくつになっても知らないことがあって、学ぶことがあります。

そして最近、それって料理も同じだなと思います。

魚も、野菜も、肉も、毎回同じではありません。

同じ食材でも、その日の状態は違います。

食材をよく見て、触って、その日の状態を感じて、その食材に合わせて料理する。

山に入ることも、料理をすることも、

結局は自然を相手にしているんですよね。

だから僕にとって、料理と狩猟は全く別のものではなくなってきました。

料理人として厨房に立つこと。

猟師として山に入ること。

一見すると全然違うように見えますが、僕の中では少しずつ一つにつながってきたような気がします。

そして、もうひとつ。

これは狩猟だけの話ではなく、僕がずっと大切にしている考え方があります。

もし、この世に一番の悪が存在するとするなら、

「自分ひとりがやっても何も変わらない」

「自分ひとりくらい頑張らなくても、誰かがやってくれる」

そんな考え方なんじゃないかと、僕は思っています。

確かに、僕ひとりが狩猟をしたからといって、世界が大きく変わるとは思っていません。

僕ひとりが鹿肉を料理したところで、廃棄されるすべての命を救えるわけでもありません。

でも、一人ひとりが

「自分がやっても何も変わらない」

「誰かがやってくれる」

そう思ってしまったら、結局、何も変わらないと思うんです。

逆に、一人ひとりが自分に出来ることをほんの少しずつでもやれば、その積み重ねは、いつか大きなものになるかもしれない。

僕はそう思っています。

だから僕は、自分に出来ることをやっています。

料理人として出来ること。

猟師として出来ること。

自然の中で学んだことを誰かに伝えること。

いただいた命を、少しでも美味しい料理にして食べてもらうこと。

僕ひとりで世界を変えようなんて思っていません。

そんな大それたことを考えているわけでもありません。

ただ、

「自分ひとりがやっても何も変わらない」

そう思って、何もしない人にはなりたくない。

だから、自分に出来ることを少しずつ。

ただ、それだけなんです。

僕はこれからも料理人として厨房に立ちます。

そして猟期になれば、また山に入ります。

料理人として。

猟師として。

そして一人の人間として。

自然から学び、命から学びながら、自分に出来ることを続けていきたいと思っています。

またこのブログでも、山で感じたことや鹿肉のこと、そして狩猟を始めて料理人として変わったことなど、少しずつ書いていきます。